COLUMNIST

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〜 私の過ぎ去りしおもひでを懐かしもうではないか 〜
 

 
− 目次 −
『 2005年06月07日 日本の未来は明るいか?』
『 2005年05月09日 ある男のキャンプツーリング。』
『 2005年04月29日 わが町のレコード屋。』
『 2005年04月13日 春先の光景。』
『 2005年01月22日 ある夫婦の闘病記。』
『 2005年01月10日 遠藤ミチロウ。』
『 2004年12月14日 誤診。』
『 2004年11月27日 八方塞がりとな。』
『 2004年11月22日 ある夫婦のモバイル事情。』
『 2004年10月12日 24時間耐久・九州ツーリング。』
『 2004年10月02日 大家?』
『 2004年09月28日 引越し貧乏。』
『 2004年07月08日 出会いたいか。』
『 2004年07月06日 ある晴れた朝。』
『 2004年05月07日 ある夫婦の苦悩。』
『 2004年03月15日 GOOD OLE DAY。』
『 2004年02月19日 ある男の観察日記(起床編) 』
『 2003年12月30日 やぁ、久しぶりだな。』
『 2003年12月23日 ある夫婦のコーディネイト論争。』
『 2003年11月10日 ゴールを守れ。』
 
『 2005年06月07日 日本の未来は明るいか?』
 別件で出向いた某大型デパートにて、店内にある某タワレコに寄ってみる。っつうか今時こういうシステムの大型店舗を“デパート”とは言わないのか?ショッピングモールとでも言うのか?、、、まぁそんなことはどうでもいい。
 
 目当てのCDがあったわけでも無かったが、せっかくここまで来たのだからと「日本のパンク・ハードコア」のコーナーをチェックしてみる。
全然売れないのか、それとも売れる度に入荷してるのかわからないが、もうずっと前から並んでいる“あぶらだこ”や“ガスタンク”に混じって最近入荷されたと思われる“スターリン”の復刻シリーズも並んでいた。
ネット上では既に廃盤とされているスターリンの復刻盤が並んでいるあたり、やはりここいらは田舎なんだろうな。転売目的で投資したい人は田舎にくればいい。ただ、本当に高値の付くレア・アイテムは田舎まで回って来ないんだろうけどね。
 そんなスターリンの復刻盤も自分は既に購入済みなので、やはりここでは特に買うべきアイテムも見当たらない。本当に欲しい音源はここではなくてもっと別の専門店に行かなければ置いてないのだ。
 
 そんな事を考えながら物色していると、同じ「日本のパンク・ハードコア」のコーナーに若い女が一人やってきた。
私服ではあるが女子高生ぐらかと思われる。
 「ふ〜ん、かわいいじゃないの。」
とオヤジ丸出しな感想を抱きつつチラ見していると、女は“あぶらだこ(木盤)”のCDを手にとり観察を始めた!?
 「へ?以外な物に手を出すね。でもそいつはキミには難しいと思うよボクは。」
などと心の中で忠告を与えるもそれが届くハズもなく、女はCDを何度もひっくり返しながら熱心に観察を続けていたが一通り納得がいったのか“あぶらだこ(木盤)”を元の棚に返すと今度は“マスターベーション(OK盤)”を手に取った!
 「いやいや、だからキミにはそれもちょっと。。。いや、でもそれならキミでもなんとか入り込めるかもね。」
といった心の叫びはやはり聞こえないのか、それも一通り観察を終えると元の棚に。
 
 そしてついに女は“スターリン(徳間ベスト)”を手に取った!!
 「ぐおっ!そこに手が伸びたかっ!!それだ!それだよキミ!!」
そばに駆け寄って女の両手を握り締め、固い握手を交わしたい衝動をグッと堪えて遠目にエールを送った。
 
 その若さで次から次へと手にとる音源のなんと素晴らしいことか! 店内に面出し・手書き広告付きで飾られているよくわからんパンクと言われているCDなどには目もくれず、最終的にスターリンを手に取った女の感性に明るい日本の将来が見えたような気がした。
 
 いや、結局彼女は何も買わなかったみたいなんだケドね。。。
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『 2005年05月09日 ある男のキャンプツーリング。』
 出発の日 AM 7:30 集合場所に向かう途中、ちょっと振り向いた拍子にシールドがはずれて飛んでしまう。
しまった!と思い振り返った男の目には地面に叩き付けられて割れてしまったシールドが・・・。割れて使い物にならなくなったシールドをそのまま拾うこともせず集合場所を目指す。
目を覆う物が何も無しで走るのは辛いため、集合場所となっていたコンビニで欲しくもないサングラスを買う。
 
 AM 10:00 キャンプ地に向かう途中の小さなスーパーで今夜の食材を調達。男が晩餐のメインにと決めていた豚ステーキがどうしても見つからず、しかたがないのでレトルトのカレーを買う。
 
 AM 11:30 キャンプ地に到着するとまずは水を調達すべく持参した折りたたみ式の携帯水タンクを持って水場へ。
仲間の持っていた100円ショップ製の安価な水タンクを横目にちょっとだけ高級な水タンクいっぱいに水をくむと、新品にもかかわらず水漏れ発生・・・。
 
 AM 12:00 そんな事にはめげずに昼食の準備にとりかかる。男の昼食はフライパンで炒めれば良いだけの冷凍チャーハンだ。キャンプ用の小ぶりなフライパンで一度に炒めるのは困難とあって、まずは半分ほど炒めてから頃合を見て残りの半分をブチ込む計画だ。
さてそろそろ良いか?ということで残り半分をブチ込むべく小ぶりなフライパンを移動させた瞬間、取っ手を強く握り過ぎたのかフライパンの鍋部分がパタッと直角に折れてしまい、隣に座っていた仲間の荷物の上にアツアツのチャーハンをブチまけてしまった。キャンプ用ということで考えられた折りたたみ式取っ手の収納機能が仇となったようだった。
 
 PM 8:00 急激に冷え込んできた気温に対抗すべく体を温めようと焼酎をチビチビ始める仲間達。いつもなら真っ先に酒に手を出してもおかしくない男は、そのとき原因不明の胸焼けに苦しんでいた。
一足先に体を温めようと、先ほど流し込んだコーンスープがまずかったのか?体も温まりテンションも上がっていく仲間達を横目に酒など飲んでいる場合ではない体調不良の男。
 
 翌 AM 10:30 そろそろ帰り支度を始めた参加メンバーの中でも真っ先に荷物をまとめあげた男は、余裕で煙草をふかしながら他のメンバーの片付け作業を眺めていたが、昨日買ったサングラスが無いことに気付く。
しまった!テントの中にぶら下げたまま畳んで片付けてしまった・・・。というわけで、さっきまとめて積み込んだばかりの荷物をまた降ろす。
 
 PM 4:00 帰路。自宅まで残り30キロ程度のトンネル内を走行中、クラッチの故障によりエンジンの駆動をタイヤに伝えることすら出来ないというトラブルが発生し、かねてから状態に不安のあったクラッチがここにきて自走不能という事態に陥る。その場で修理する術もなく、馴染みのショップオーナーに連絡をとり迎えが来るまでの約2時間をそこで潰すこととなる。
 
 PM 5:00 その日、別の団体とのツーリングに参加して走っていた仲間がここを通るのではないか?トラブルで動けない自分を見られてしまうとみっともないじゃねぇか。という心配も見事的中し、普段休憩などではけっして止まらない場所で立ち往生している姿を見られてしまう。
 
 PM 6:00 そろそろ日も暮れかかってきた頃、迎えを頼んだショップオーナーがトラックで到着。大量の荷物を積んだまま動けないバイクをトラックに載せ、それまで一緒に待ってくれていた仲間達が各々の相棒に跨って帰路につくのを見送って男のキャンプ“ツーリング”はここで終了。
 
 今回で4回目となる1泊2日のキャンプツーリングにおいて数々のトラブルを乗り切った男の一言。
「だからキャンプは嫌なんだっ!!」(←全否定的暴言)
 
(いやいや、アンタこそが言い出しっぺの一人である。)
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『 2005年04月29日 わが町のレコード屋。』
 地元の幹線道路沿いにたぶん個人経営の小さなレコード屋がある。名前をオ○ムラという。きょうびレコード盤なんてほとんど置いてないのでCD屋と呼ぶのが正解であろうが、ここはあえてレコード屋と呼びたい。
 そこは自主制作専門だとかPUNK・ROCK'N ROLL専門などというわけでも無く普通に演歌や流行歌手のCDも並べてある、ヘタすれば大手チェーン系列店に喰われて潰れてもおかしくない町のレコード屋だ。
他にも自ら自主制作レーベルを持つPUNK専門のレコード屋はあるので本当に欲しいものがあればそこに行けばいい。
 ただ、その小さなたぶん個人経営のレコード屋「オカ○ラ」は、他のいわゆる大手チェーン系列のCD屋には無いちょっとしたマニアックな品も置いてあったりする。例えば80年代に誕生したインディーズレーベルの売れ残りかとも思われるCDが結構な量で陳列されていたり、'50s〜ネオ・ロカと呼ばれる輸入物のロカビリー系、オールディーズ系、ロックン・ロール系がやけに充実していたりする。
 また、メジャー会社からのリリースにもかかわらず大手チェーン店でも注文しなければ入荷してこないような需要の低い少数流通の新作もここに来れば発売日に入荷されていたりする場合もある。
 そう、常にチャート上位に入っているような万人に愛される流行歌の新作発売広告が店先にずらりと貼られているからといって、ここはけっしてあなどれないのだ!
 
 数年前のこと、買いそびれてしまっていた自主制作物のCDを探しにオカ○ラに行ってみた。
とりあえず目的のバンド名から陳列棚を探してみるも「ガスタンク」というコーナーに並んでいた数種類のCD郡の中に探していたアルバムは無かった。
 そこでレジ横に立っている店長とおぼしきオジサンに尋ねてみる。
 
 「スイマセン、ガスタンクというバンドのですね・・・。」
 「あ、ガスタンクね。はいはい。」
<・・・おっ!ガスタンクを知っているのか。さすがだなオッサン・・・>
 
 「ちょっと待って下さいね。」
カウンター下から何やらカタログらしきブ厚い本を取り出しササッとページをめくるオッサン(たぶん店長)は、即座に目的のアルバム名を見つけ出し、
 「あ、これですね。え〜っと今ちょっと在庫はしてませんけど取り寄せできますよ。」
 「えっ!?取り寄せてもらえるんですか?結構どこで探しても売り切れてたんですよ・・。」
<・・・うおぉ、シブイぜ!オッサン!・・・>
 
 「あー、そうでしたか。これインディーズなので一応確認してみますけどたぶん大丈夫ですよ。」
やけに自信たっぷりに答えるオッサン(おそらく店長)。
<・・・マジかよオッサン!どんな強力な流通ルート持ってんだよ。・・・>
 
 「えっと、じゃあ、お願いします。・・ところで自主制作盤ってレーベルから直接入ってきてるんですか?」
オッサン(きっと店長)のあまりの自信に流通ルートに興味が湧き聞いてみる。
 
 「そうですねぇ・・インディーズのCDは契約してるわりと大きな卸問屋が2ヶ所ありますんでそこに問い合わせてみます。で、そこに在庫が無かったらですね・・・」
オッサン(ただものじゃない店長)はやおらカタログ上に書かれてある“ガスタンク”という文字を指差し、堂々と言い放った。
 
 「“この人達”に連絡取って聞いてみます。」
<・・・ぐはっ! まさかそんな手があったなんて!!・・・>
<・・・オッサン、あんたBAKIに直接連絡が取れるのかっ!!・・・知り合いなのか!?・・・友達なのかっ!?・・・>
<・・・眩しい! 眩しすぎるよオッサン!!・・・>
 
 御光輝くかの如く眼に眩しく映るオッサン(実は自主制作PUNK業界の元締めに違いない店長)の手を“しっか”と握り締めたい衝動を抑えつつ、入荷した際の連絡先を告げて店を後にした。
 
 その後注文したアルバムが入荷したとの連絡はまだ無い。
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『 2005年04月13日 春先の光景。』
 春先とはいえ、朝はまだ肌寒い季節の頃。
通勤時には皆制服の上にもう一枚上着を着て出社してくるのも当たり前の光景であり、その男も然りであった。
 ただ仕事の始まった事務所内でもずっと上着を脱がないのは彼だけだった。
空調の効いた事務所内で一日中上着を着ている姿にはあきらかに違和感があったし傍から見てもやや滑稽であったが、男はけっして上着を脱ごうとはしなかった。
 そんな男に職場の一人が問う。
「○○さん、寒いの?」
「んん、寒いんだよ。」
男はずっと風邪が治らないんだと弁解していた。
 男の近くにいればよく鼻をすする音が聞こえてくるし、男のゴミ箱は使用済みのティッシュでいっぱいだった。たしかに具合は悪そうだった。
 
 男の風邪がずっと治らないのは実は今年に始まったことではなかった。
昨年の春先のこと。男と一緒に客先に出向いて作業をする仕事があった。
 昨年も同様に風邪をひいていると言っていた男の鼻水は、客先でも止まらなかった。
ティッシュを持って来なかったのか、とめどなく溢れ出てくる鼻水をなんとか逆流させようと引っ切りなしに鼻をすする男の努力もむなしく、鼻水は男の唇を伝っていた。
周囲の目を盗むように時々手で鼻水を拭いながら作業を続ける男の姿は見ているこっちが痛かった。
 やがて男の顔を見て話すのもためらいがちになり、男とはなるべく離れた場所での作業を心がけるのが男への精一杯の気遣いだった。
 そんな状態がここ何年も続いている。
 
 そして随分と暖かくなってきた桜の季節。
通勤時の上着ももう必要がなくなり、事務所内の空調設備もスイッチを入れる必要がなくなった。
 ただ男の風邪だけはまだ治っていないそうだった。
 
 アンタ、もういい加減自分が花粉症であることを認めてマスクでも付けてきてはどうだい?
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『 2005年01月22日 ある夫婦の闘病記。』
 朝からあまりヤル気もなく職場でボーっと座っている夫の胸ポケットで携帯が震えていた。
着信画面を見ると家で子供の面倒見ているハズの妻の名前が表示されている。何だろうと思いデスクを離れ携帯を受ける夫の耳元に聞こえてきたのは、子供の泣き声にかき消されて小さく届く妻の弱った声だった。
 
妻「仕事中にごめんなさい。ずっと我慢してたんだけど、、、とても体調が悪くて・・・。」
夫「わかった。なるべく早く帰る。」
妻「本当にごめんなさい。ただの風邪かも知れないけど、前にもあった原因不明の体調不良だったら長引きそうで心配で・・・。」
 
 職場には急用が出来たと伝え早退して帰宅した夫は、弱った妻の代わりに子供に昼食を与え妻には粥を作って食べさせた。そして自分も何か食べなくてはと昨夜の残り物を適当に昼食とし、その後片付けを終えたあたりで自分もなんだか体調が悪くなってきていることに気付いた。
 妻の不調を感じ取っているかの如く機嫌の悪い子供を、少し昼寝させようと寝かしつけているうちに夫の体調はどんどん崩れていった。
 
夫「ダメだ。俺も調子が悪くなってきた。」
妻「えっ?あなたも?」
夫「あぁ、なんだか体がダルくて嫌な痛みも出てきた。」
妻「あら、じゃぁ私と似た症状ね。やぱり風邪かな?二人とも風邪ひいちゃったのかしら。」
夫「いや、まてよ。風邪だったらこんなに急に症状が悪くなってくるか?」
妻「でも、私だって今朝までは全然平気で家事をやってたのよ。」
夫「だから二人とも何か別の・・・。」
妻「とりあえず風邪薬でも飲んで横になってる?」
 
 はっきりと風邪であるという根拠もないまま風邪薬を飲んで気休めとする二人。
 
夫「まずいな・・・。」
妻「え?」
夫「こりゃ何かヤバイ病気だな・・・。ウイルス性の急性胃腸・・・、いや、悪性肝機能障害・・・、、、」
妻「何それ?」
夫「それとも何か細菌兵器の類(たぐい)か・・・。」
妻「・・・。」
夫「とにかく狙われているのは俺か、それともお前か、、、いずれにせよ特に思い当たる感染ルートも無いとすれば空気感染か、、、となると益々厄介だな。感染源はいったい・・・、保菌者は・・・。」
妻「何言ってるの?」
夫「おい、この子は平気なのか!?」
妻「そうね。特に普段と変わり無くヤイヤイ言ってるわ。」
夫「そうか。子供はまだ抵抗力も低いからな。空気感染だとしたら真っ先にやられるのはこの子だろう。」
妻「・・・、・・・。」
夫「畜生。どこでしくじった!裏で動いてるのはどこの組織だ!?KGBか?CIAか?狙いはたぶん俺だろう。いや、お前は何も心配しなくていい。ただこの子の様子だけは気を付けていてくれ。」
妻「あんた、何処を敵に回して戦ってるのよ。」
夫「とにかく体がこのままぢゃ戦おうにも動くこともできねぇ。まずは体力の回復を図るべきだ。今日はもう寝るぞ。」
妻「・・・、・・・、・・・。」
 
 翌朝、昨日飲んでおいた風邪薬が効いたのか、随分とスッキリとした目覚めと体調の良さに昨日の心配など何処へやらといった雰囲気の夫。
 
妻「ねぇ、体はもういいの?」
夫「ん?何が?」
妻「KGBとCIAには勝ったのね♪私はまだ風邪が治らないみたいだけど。」
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『 2005年01月10日 遠藤ミチロウ。』
 約2年振りにミチロウさんのライブを見に行く。
毎回のことながら客の入りは決して多くはなく、開演5分前にハウスに到着したにもかかわらず真正面の位置に陣取ることができるというありさま。その時点で客は10名程度。今回直前まで見に行けるかどうかわからなかった為チケットは買っていなかったのだが、こんな状態なのでもちろん当日入場でOK。
 いつものように前座からスタートし2組の前座が1時間程演奏する。アコースティック・ソロの弾き語りと3ピース編成のハードロック・バンドであったが残念ながら心に届くものは無かった。
 前座が終了していよいよミチロウさんの登場。
暗いステージ上で自らセッティングに従事するミチロウさんを眺めつつ周りを見渡すと、客も倍増しているようだがそれでも20名前後といったところか。他の会場がどうなのかは知らないがうちの地方ではいつもこんなものだ。
 
 軽い声出しから絶叫のあと“MISER”〜“1999”とスタートしたライブはこれまであまり生では聴いたことの無かった曲も多くあり、私的に嬉しいセットリストのいいライブだった。
 時々歌詞が飛んだり等のミスがあったのはちょっとしたブランクのせいか?それとも調子の悪かったマイクスタンドのせいか?
スタンドの固定がきちんとできないらしく激しい演奏にマイク位置が少しずつ回っていく。絶叫をあげる口でそれを修正しつつの演奏が続き、ライブ中盤にミチロウさんが修正を試みるがやはりマイクは回る。
 
 ハードな曲としっとりとした曲を入り交えてのライブはNO FUNで一旦終了。
普通はここで控え室に戻るのであろうが、今日のミチロウさんはそのままステージ上に残り一服しながらセッティングやら打合せやら行っており、ここにきてやっとマイクスタンドを交換。
 そのままMCからアンコールに突入。
アンコール3曲目にイントロの触りだけ弾いたあと「演ってなかったよね?」と確認してからの“カノン”で2時間を越えるライブが終了。
 出口のカウンターで客とのコミュニケーションを楽しむミチロウさんに挨拶とサインを貰って帰宅。
 
 今年もまた“天国の扉”が聴けて良かったと思いつつ、次回もまた見に来られるか激しく不安な帰路なり。
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『 2004年12月14日 誤診。』
 ガキの頃、夜中に突然肛門になんとも言えない不快感を覚えて目が覚めてしまうことがあった。
それはしいて例えるならば便秘に苦しみウ○コが出なくてツライとか、肛門の奥がムズムズしてじっとしていられないとか、とにかく言葉で言い表すのは難しい不快感だった。時たまやってくるその不快感に襲われると、とてもじゃないが寝てはいられずに苦しかった。
 ガキの頃のそんな原因不明の不快感は、寝ていたにもかかわらず子供の意味不明な訴えに起こされた母親が肛門を揉んでくれているうちに、自然と治まっていたのか自分は知らず知らずのうちににまた眠りに落ちていたようだった。
 
 そしてウン十年が経った今でもそれは時々やってくる。
夜中に限らず昼間突然不快感に襲われることもある。かといって今さら母親に肛門を揉んでもらうわけにはいかない。そこで、周囲の状況さえ許せば自分で揉んでみたりもするが、それが許されない場合はじっと耐えるしかない。
 そうしているうちに数分から十数分も我慢すれば大抵は治まってくれるのだが、この数分から十数分がかなりツライのだ。
 
 最近フと考えるのだが、こんな不快な症状を持つのは自分だけでは無いのではないか?
以前うちに来た客で「どうも腰が痛くてじっと横になっていられない」と言っていた客、「お腹が痛くて・・・」と座るたびにモジモジしていた客、彼等もひょっとしたら自分と同じ肛門の不快感に襲われていたのでは?だが、その不快感を言い表す言葉が思いつかなかったのでは?懇意な仲でもないのに「肛門がムズがゆくって・・・」とはとても言えなかっただけなのでは?
 もちろん自分もちゃんと医者の診察を受けたわけではないしこういった症状について調べたわけでもないのだが、この“突発性肛門不快感症候群”と今名付けた症状を持つ人間が他にもいるハズだ。
 
 そしてついに一つの仮説にたどり着いた!
未だ確固たる原因の掴めていない乳幼児の“夜泣き”という症状の原因はコレなのでは!?そうだっ!そうに違いない!!
 あぁ、時期ノーベル医学賞は我手中にアリ!!!
 
 早速一番手近な検証素材として我が家の新参者に目を付け、彼の夜泣きが始まるのをを待つ。そして検証のチャンスはその夜すぐに訪れた。
 けたたましく夜泣きを始めた新参者を抱え込み検証を実践すべく肛門を揉みまくる。
 
 
 
 泣き止まない。
 
なおも検証を続けるべく肛門を人差し指でぐりぐりやってみる。
 
 
 
 さらにけたたましく泣き叫び、そして暴れる。
 
みかねた相方が「アンタ何やってんの!?」といいながら検証素材とり上げると、抱きかかえやさしく子守唄を唄ってやる。
 
 
 検証素材はすう〜っと眠りに落ちた。
 
 
 自分の仮説は僅かに狂っていたか・・・。
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『 2004年11月27日 八方塞がりとな。』
 とかく女というものはダイエットに関しては異常に熱心なものでして、、、。
ダイエット食品を買ってみたり健康器具を買ってみたり、走ってみたり歩いてみたり、、、。
まぁ色々と手を替え品を替えアレやコレやと努力をしておるわけですが、その度にやれ何キロ太った何キロ痩せたと大変なようです。傍から見てるぶんには大きな声でわめいているほどには見た目は変わってないと思うのですが、本人にしてみれば体重計の示す数値はもちろんのこと服を着たときの気分まで違うそうで、、、。
 で、今現在ここだけの話体重計に乗る気にもなれないぐらいに服を着たときの状態がよろしくないとのことで、数ある武器の中から一番手軽にその場でできるという理由により100均で買った縄跳びをチョイスして励んでおったわけです。
 
 さて三日ほど励んだでしょうか。
なんだか膝が少し痛いと言い出し、見ると左足の膝下がやや腫れているようにも見えます。翌日からはもちろん縄跳びはやめたようですが、それでも痛みは治まらずに階段の上り下りも大変な状態のようです。
 
 「ねぇ、この膝の痛みってやっぱり縄跳びが原因かしら? ひょっとして体が重すぎて膝に無理がかかったのかな?? なによぉ〜、だから縄跳びして痩せようと努力してるのに、これじゃ痩せる前に縄跳びも出来やしないじゃない!? あぁ〜、もう八方塞がりだわっ!!」
 
 私は、「まず喰うのをやめろっ!」 と声を大にして言ってやった(心の中で)。
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『 2004年11月22日 ある夫婦のモバイル事情。』
 妻の使っている携帯がそろそろ限界が来たようで。
 
妻「ねぇ、あたしの携帯、最近電池が切れるのが早いんだけどそろそろ替え時なのかな?」
夫「んん?そうだな。どのぐらいで切れるんだ?」
妻「ん〜そうね〜、持ってるだけで1日、使っちゃうと1日もたないわねぇ。」
夫「お前それ既に携帯とは呼べねぇだろ。」
 
 そんなわけで機種変更と相成った妻の携帯は“最新型なんて要らないから安いヤツ”という妻の希望に対し、店員の「こちらの機種ですと手数料のみで本体は無料で提供できますぅ♪」という機種は見た目が気に入らないからと却下し、機能よりもデザイン重視でチョイスし購入した若干型遅れの5000円也。
 そもそも携帯なんて必要ないと言っていた妻が友人からの強力な勧めと懇願の末、しぶしぶ持つようになってから数年。これで買い換えるのは2度目ぐらいだろうか。
 
 データの移し変えを終えた携帯と付属品やら説明書やらの入った箱を受け取り家に帰り着くと、最低限必要な充電器“のみ”を箱から取り出すとその他には一切目もくれずゴミ箱へ放り込む妻。
 
夫「おいおい、説明書ぐらい置いといたらどうだ?」
妻「え〜、だって必要ないじゃん。」
夫「使い方がわからない時どーすんだ?」
妻「そんなもん見なくても電話とメールぐらいできるでしょ。アナタ説明書置いといて後から読んだ事ある?」
 
 やはりワイルドな妻には新機能の付いた最新機種は必要ないようだった。そういえば前回妻が機種変更をした時も同じやりとりがあったような・・・。
 そして我が家の押入れの奥にはもうけっして読まれることも無いであろう夫の携帯の説明書が眠っていた。
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『 2004年10月12日 24時間耐久・九州ツーリング。』
 10月某日 深夜0:30 高知。
静まり返った近所の迷惑とならないよう相棒を押して出発。大通りへ出たところでエンジンを始動。相棒のご機嫌は上々。だが空からは小雨。この怪しい天気のなか本当に出発するのか?という疑念を持ったまま、暖機をしながらゆっくりと集合場所に向けて走り出す。
 雨の降ってなかった集合場所には既に9台の仲間が集まっており、一服した後にまずは夜明け前のフェリーを目指して約4時間の道のりに向け出発。
 何年も走り慣れた道を愛媛に入る。このルートなら夜でもさほど問題は無く順調に進むかに思われたが、100キロほど走った2度目の休憩場所を目前としたところで僅かな雨に遭う。これ以上の雨が降らないことを祈りつつ「せっかく磨いた愛車も台無しだなぁ」と、信じてはもらえない会話を交わした休憩場所を後にするが、西へ走り始めてすぐに雨脚が強くなる。ただ暗いだけならまだいいが、これに雨が加わるといくら走り慣れた道でも結構キツい。
 先頭から4台ほどが一気に港へ走り切った中、後陣は途中で断念し高架下で一時雨宿り。「もう九州はやめて帰ったほうがいいのでは?」という思いがよぎるなか、雨の夜道をまた引き返す勇気とそれに応える燃料の余裕も無く先陣に続いて港へ向かう。この時点ではそれでもまだ余裕があり、後に味わう苦難の道中など予想もしていなかった。
 愛媛の天気予報は「曇り時々晴れ」。でも空からは「雨」。
 
 10月某日 朝8:30 大分。
フェリーから出ると雨はほとんど上がっていた。雲の隙間からは青空すら覗いている部分もある。やっぱり来て良かった。予定ではこの調子で西から晴れてくるハズだ。
 フェリーで2時間程度の睡眠を取っただけの重たい体に濡れた革ジャンを羽織り、目的地である阿蘇方面を目指す。予定しているコースを考えれば時間には充分余裕があるハズだ。とりあえずコンビニで軽い朝食と栄養ドリンクを摂取し、腹の減った相棒にもオクタン価の高い油を給油。曇り空の中、今年2度目となる九州の地を西へ走りながら前回の九州もずっと雨だったことをフと思い出す。
 濡れた革ジャンもだいぶ乾くまで走った後のトイレ休憩中、雲の隙間から覗いていた青空もどこへやらまた雨が降り始める。空はドンよりと暗く晴れてきそうな気配は消えていた。この雨のなか今後どれだけのペースで走れるのか?
 今回ツーリングの目的地は「阿蘇・大観望」。そこをまわって夕方の4時には別府港に着いていないと「日帰り」出来なくなる。残りの距離と時間、そして空模様をにらみながら検討した結果、せっかく来たのだからと予定通り「大観望」に向けて再出発。
 大分の天気予報は「曇りのち晴れ」。でも空からは「雨」。“のち”っていつだよ?
 
 10月某日 正午12:00 熊本。
阿蘇のすそ野を走る国道は両側の山頂共に黒い雨雲がかかり、まさに暗雲の立ち込める状態。だが今更後戻りも出来ない。“降ったり止んだり”だった雨は“強く降ったり弱く降ったり”に変わっていた。
 国道から北に曲がり大観望へむけた登山ルートを登り始めたところで雨宿りを兼ねた休憩。別府までのタイムリミットまであと4時間。空は暗く雨は上がる気配もない。時間も無ければ近道も無く、もう走り続けるしか道は残されていない。とにかく行けるところまで行ってみるしかないということで出発。休憩中に冷えきったタイヤは濡れた山道のコーナーをうまく捉えてくれず無駄な力が入る。阿蘇の頂を走るやまなみハイウェイは霧こそ出ていなかったものの絶景を楽しむ余裕などなく、ひたすら前だけを見て走り続ける。そして10月の雨は寒い。
 今回のツーリングは「日帰り大観望」という名目であり、その目的地であり、またツーリングの冠であるにもかかわらず「大観望」を素通りしたところで再度雨宿りの休憩と相棒への給油。パンツの中まで濡れているのはそこだけチャップスに覆われていないのが原因か?それとも寒さと疲労で下半身の感覚が薄れてきているのが原因か?ここにきてワーク・ブーツの中まで浸水してきたのも痛い。
 熊本の天気予報は「曇りのち晴れ」。空は全開で「雨」。天気予報ってなんだよ?
 
 10月某日 午後4:00 別府。
冠を素通りした後、時間と距離を稼ぐため湯布院から別府までの間を予定に無かった高速で走る。雨の高速、いつものツーリングのように一人遅れてのんびりと走っている場合でもなく、相棒にも少し頑張ってもらう。辿り着いた港にフェリーはまだいた。コイツに乗れると決まったところで今回のツーリングはほぼ成功したと言ってもいいだろう。そして降り続いていた雨もやっと上がっていた。
 雨・時間・寒さとの戦いに勝った! ん?まてよ?大観望を素通りした時点で負けなのか?それともパンツの中まで濡れてしまった時点で負けなのか?
 別府の天気予報は「曇り時々晴れ」。実際は「曇り」。もう天気予報なんてどうでもよかた。
 
 10月某日 午後8:00 愛媛。
フェリーから降りた愛媛ではもうすっかり日も落ちていたが四国でも雨は降っていなかった。
 港を出てすぐにこの旅最後となる相棒への給油。ここで満腹にしてやれば帰れる距離だ。そして今朝のコンビニ以来この旅で初めてのまともな食事を摂る。ここにきてこの旅で初めてグローブを外す。皮革で覆われていなかった指先だけが汚れている。
 愛媛の天気予報なんてもう見ない。実際に降ってないのだからそれでいい。
 
 10月某日 深夜12:30 高知。
静まり返った近所の迷惑とならないよう相棒を押して帰宅。
所要時間、24時間。走行距離、500キロ強。雨と寒さにやられて予想以上に過酷だったツーリング終了。
 
今後の課題:意地でも合羽は持って行かないとしても替えのパンツ持参はアリなのか?
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『 2004年10月02日 大家?』
 だいたい賃貸で借りていた部屋を返すにあたってはキレイに掃除をしてから返すのが当たり前だと思うのだが、数年前に引越しで部屋を出た時ももちろん部屋の掃除をしてから明け渡した。
だが、これが結構大変なものでなかなか個人では隅から隅までピカピカとはいかない。ある程度までキレイになった時点で「もういいだろ〜、これで勘弁してくれよ〜。」ってなもんである。
 そして今回の引越しに至っては、時間的にも体力的にもその他モロモロ的にも前部屋の掃除をしている余裕など無いのが現状であった。
もちろん“その他モロモロ”の中には(ちっ、めんどくせぇ〜な〜)っていうのも含まれる。
そこで、多少の費用は発生するが引越し業者についでに掃除もお願いすることにした。
 
 さて引越し当日。
「○○時頃には掃除も終わりますので確認に来て下さい。」という業者の言う通り約束の時間に前部屋に戻ってみると何故か未だ絶賛清掃中!であり、とても終わりそうな気配すらない。
どうしたもんだべか?と覗いてみると掃除にあたる2名の業者に加えて腰の曲がった老婆が一人、、、大家の母親であった。
 この老婆が業者2人に対してあれやこれやと指示を出している・・・。
やれ襖の裏がどーだとか、やれ便器の裏がどーだとか屋外の換気扇カバーがどーだとか、挙句の果ては入居当初の契約では全て取り替える予定の畳のシミまで、、、ちょっと非常識なレベルで隅々までチェックしては業者を呼び止め作業の手を止めさせていた。
しかもこの婆さん、話が長いっ!2人の業者も困り果てていた。
 
 結局婆さんが帰って作業が完了したのは予定よりも2時間ほどオーバーした夕方遅くになった頃だった。
「いや、私もこの仕事を20年以上やってますが、ここまでうるさい大家は初めてだよ。あの調子じゃ入居する人いないだろうね(笑)」
 超過時間分の代金を請求するでもなく笑って去っていった業者のおじさん、アンタ眩しいよ!!
こっちから何の連絡もしてないのに掃除の途中で見に来る婆さん、そりゃ反則だよ!!
 
 そしてこの婆さんがけっして本来の大家ではないという事実も忘れてはならない。
婆さんの娘さんである本来の大家さんはいい人であります。長い間お世話になりました。
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『 2004年09月28日 引越し貧乏。』
 先日、5年ほど住んでいた部屋を後にした。
引越しするにあたってその段取りを色々と検討した結果、多少の費用はかかるが大きくて重いものはプロに任せることにし、それ以外は出来るだけ自分達で運ぼうということになる。
そのため、別に夜逃げしてるわけでもないが仕事が終わってから夜な夜な荷を運ぶ毎日が続いた。衣類、食器類、本、CD・レコード、その他もろもろ、袋や箱に詰めては運び出し車に積み込む。そして15分ほど走ったところの引越し先で車から下ろす。この作業の繰り返しだ。
 
 予想以上に多い各種荷物が出てくる出てくる。けっして広くはない押し入れの中からもよくもまぁこれだけの量が収まっていたもんだっていうぐらいの荷物が出てくる。
「おいおいここは四次元ポケットじゃねぇんだからよぉ。」と笑えない文句の一言でも言いたくなるってもんだ。
限られた日数でこれを全部運ぶのかと思うと泣きそうになる。
 そこで少しでも荷物を減らすべく可能な限り不用品として処分しては?という名案の下、別れを告げる品々候補を選考。
 
・10年以上前に当時「もう古過ぎていらないから」と貰った、一人では持てないぐらいの重量を誇る電子レンジ。(← お疲れ様でした。そしてありがとう。)
・何ピースだったかも忘れたがデパートで一目惚れして買った畳1枚分ぐらいのスペースをとる“龍虎図”のジグソーパズル完成品。(← 恋は冷めました。さようなら。)
・ジジジジ・・・ガガッ・・ガーッ!と異音を発する天井の照明機器。(← 爆発する前に処分。)
・いる時に要らなくていらない時に要る風呂の蓋。(← どっちの時も要らないので処分。)
・新参者の放出した各種体液の染み込んだカーペット。(← 新参者にしてみれば縄張の主張かも知れないが一応処分。)
・ネックの反ってしまったZENON製の古いピックギター。(← どうせ弾けないくせに。。。と言われつつも死守。)
・カビの生えてしまっていたヘルメット&ゴーグル。(← 一度は捨てられていたが拾い上げて救済。)
・とても白には見えなくなった白いラバーソール。(← ↑同上)
・視力が落ちたので使わなくなった各種安物サングラス。(← 迷ったあげく処分)
・めっきり使うこともなくなったであろう裏稼業の道具達。(← 迷ったあげく保存)
・売れば金になるのか?スーパーファミコン。(← 迷わず処分)
・以前はテレビ台として活躍していたが後にコンポ台に転職した“俺”の買った黒い台。(← 黒はダメッ!の一言で処分決定。)
・以前は化粧品台として活躍していたが後に調味料台に転職する“妻”の買った赤い台。(← 白に塗れば!の一言で保存決定。)
・押し入れの奥深くから出てきた秘密のビデオや雑誌。(← 不用品候補に挙げるまでもなく極秘裏に搬出・収納。)
・今となってはまず袖を通すこともないであろう20年物の鋲ジャン。(← 大丈夫、おまえは連れて行くよ。)
 
等々、結局これら不用品の処分もついでに業者に依頼し費用8千円也が発生。
あぁ、引越し貧乏まっしぐら。
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『 2004年07月08日 出会いたいか。』
 すべてが“完全無料”だというモバイル向けの出会い系サイトに登録。
さて、いい娘はいないかなとしばらく物色しているとサイト側からのご連絡。
「当サイトのユーザー登録システムの変更に伴い再度ご登録をお願い致します。」
「ちぇっ、めんどくせぇな」と思いつつも出会いを求めるためにあらためて登録のしなおし。
名前・アドレス・電話番号のみを入力していざ送信。もちろんこの情報は非公開。
そしてもちろんこれも“完全無料”!!
 
 再登録完了後、ふたたび出会いを求めてサイトにアクセス。
なんと今度は女の子がみんな顔写真付きにグレードアップしててなかなか良さげ♪
わくわく気分で一通り品定めをしたが今日のところはとりあえずメールはせずに終了。
ところが数日後、サイト経由でなんと女の子の方から電話がっ!
コイツはスゲェやと楽しくおしゃべりおしゃべり。
 
 ん・・・だが、待てよ? なんでこっちの電話番号知ってんだ??
入力した番号は非公開ぢゃなかったっけ???
このサイト、実はヤバイんぢゃねぇの???
なんかヤバそーだから退会しとこうっと。くわばらくわばら。
 ヤバそうなことに気付いたつもりでサイトから退会手続きの画面に進み、各種情報を入力後「退会」ボタンをクリッククリック。
開いた次なるページにはこんなメッセージが・・・。
「貴殿には入会金3万円をまだお支払い頂いておりませんので退会手続きは行なえません。」
 うわぁ〜ん(泣)
 
 
 
「あ、もしもし、オレオレ。あのさ、今度携帯替えたから。番号もアドレスも変わっちゃってるからヨロシク!」
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『 2004年07月06日 ある晴れた朝。』
 カーテン越しにうららかな日ざしが入り込む7月初旬の朝。
まだ梅雨は明けていないとはいえ、この朝日の明るさからするとどうやら今日はいい天気のようだ。遠くから聞こえてくるのは小鳥のさえずりか。それ以外に聞こえる音はなく家人もまだ皆眠っているようだ。
 それにしても昨夜はよく眠れたようでなんだか今朝は非常に気分が良い。
 
 肉体的にも精神的にも最上の休息時間であるこの睡眠という時間。いつもの朝ならこのおだやかな睡眠はけたたましい目覚ましの音に無理やり打ち砕かれていることだろう。
 そしてまだそんなには明るくもない外の明かりでその日の空模様を感じとり、眠い目をこすりながら「まだ眠りたいんだ」と訴える疲れの取れきっていない重たい体をようやく奮い立たせ、ふらつきながら出勤の準備に追われる毎日だ。
 だが今朝に限ってはそんな一時の余裕もない戦争のような朝とは違い、ゆとりのあるすがすがしい目覚めを迎えられたようだ。充分な睡眠を得られたのか体も幾分か軽い。いつものけたたましい目覚ましの音すら記憶にない・・・。
 
 ん・・・、目覚ましの音? 記憶にない? なんで? 今日は何曜日?
遅刻じゃんかよっ!
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『 2004年05月07日 ある夫婦の苦悩。』
 ある夜夫が布団に入ると、先に入っていた妻がそっと夫の手を取り自分のお腹に導いてささやいた。
「ねえねえ、ちょっとあたしのお腹触ってみて。おヘソの横のこのあたり。ね、ほら、ドクン・ドクンって脈打ってるでしょ。どうしたのかな?普通こんなところにこんなに大きな血管なんて通ってないと思うの。」
 なるほど、妻のお腹に触れた夫の手にハッキリと感じ取れる程の大きな脈動が伝わってきた。それはまるでそこに心臓があるのではないか?と思える程の、と言っても過言ではないくらいのハッキリとした脈動だった。
 
「今まではこんな事なかったと思うの。ほら、あなたはそんな事ないでしょ?あたし、あなたが寝ている間に確かめてみたのよ。」
そう言われて夫は自分のヘソのあたりを指先で探ってみるが確かに何の脈動もない。
「あたし、教科書でちょっと調べてみたんだけど幾つか当てはまる病名もあったの。何か大変な病気だったらどうしよう。自覚症状も殆どないまま血管が破裂して死に至ることもあるんだって・・・。」
 看護の経験を持つ妻は自分なりに調べてみたらしく、あれやこれやと色んな病名を持ち出しては夫に心配を訴えかけてくる。
そもそも心配性で必要以上に不安を募らせる妻の性格をわかっていながらも、“死”と言う表現に夫の方も次第に心配になってきた。
「なぁ、ここでそうやって素人診断で心配してるよりも、一度診てもらってこいよ。」
夫の言葉に納得したのか、妻は早速近くの専門病院を調べ診察の予約を取った。
 
 診察の結果は明るい笑顔で帰って来た妻の姿に現れていた。
「あぁ良かった。お医者さんが言うにはべつに何でもないんだって。お腹の脈動は普通に“誰にでも”あるものだって。心配することなかったみたい。」
ほっと安堵の表情を見せながら報告する妻の言葉に、夫は一つの疑問が浮かんだ。
「じゃあ何で俺は脈打ってないんだ?俺のほうが病気なのか?」
相変わらずの明るい笑顔で妻は答えた。
「あ、あたしもそれ聞いてみたんだけどね、“太ってる人”はあまり脈動を感じ取れないこともあるんだってさ。」
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『 2004年03月15日 GOOD OLE DAY。』
 15年、いや20年ぐらいは経っただろうか、まだ少年だった頃の自分なりに精一杯背伸びしたパンクファッションを振り返ってみる。
 
 まず頭はモヒカンが理想なわけだが、これは色々な弾圧に負けてとても出来なかった髪型であった。
そこでギリギリ体裁を整える事が出来る程度にサイドのみ刈り上げられた頭をここ一番逆立てていたものだ。当時我々の間では“しんせい刈り”と呼んでいたがどこまで通用する呼び方かは定かではない。
 しかしながらこの場合、当時流行の兆しにあった某チェッ○ーズというグループに洗脳されていると勘違いされる痛さがあった。
 
 夏の上半身はパンクスの最新アイテムであったガーゼシャツが一張羅だった。そもそもガーゼ素材なわけだから質感は初めからヨレヨレに近いのであるが、それでも新品のままでは決して着ない。一度洗濯機で回してから着るのが鉄則であった。さらに自分なりにハサミを入れてボロさを出すのも良いのだが貧乏パンクスであった自分にはもったいなくて出来なかったオシャレ術であった。
 冬のオシャレはもちろん鋲ジャン。小銭を貯めてはチビチビと鋲を買い増やしていった一品である。さらにその上に黒のロングコートを羽織ってみたりもした。いくら冬とは言え多少暑かったし身動きもとり辛かった。上級者になると常夏のライブハウスにその格好でやってくる強者もいたもんだ。
 「パンクスに暑いも寒いも無い!」
名言である。
 
 下は膝の抜けたブルージーンズもしくは無造作に縫いつけられたジッパーが自己主張しているブラックデニムのボンデージパンツあたりが主流であった。そいつの腰にはヒップ・フラップと呼ばれていた磯釣りの必須アイテムのような布きれをぶら下げるのも良し。もっと派手好きなパンクスのボンデージパンツは赤のタータンチェックだった。
 自分はリーバイスのブラックデニムに母親から貰ったジッパーを縫いつけて穿いていた。ただこのリーバイスがそこら辺でウヨウヨしていたアメリカモンのリーバイスではなくてUKリーバイスだったあたりはささやかなこだわりだったのかも知れない。
 
 そして足下はなんといってもワークブーツが最高のフィットアイテムであった。いきなり高価なブーツを買えない自分は、まず安全靴から入った。もちろん紐は黄色に交換済みである。
 そんな足下を強調するために、穿かれているブルージーンズはロールアップするのが当たり前。それも七分丈ぐらいの長さまで思いっきり捲り上げるのが格好良かった。初めからロールアップすることを考慮して短めにカットされたジーンズを“ブーツカット”などと呼んでいた時代であった。
 一度履いてしまうとなかなか脱ぐことの出来ない気合いが必要なワークブーツとは別に、もっと気軽に履けるアイテムとして主流だったのがラバーソールだったが、これまた高価なアイテムであり自分がいわゆる“ホンモノ(ROBOT)”手にしたのはだいぶ後になってからのことだった。それまでは明らかにソールの違うバッタもんラバーソールでロッカ・パンクスを気取っていたものだ。
 
 アクセサリーに関しては各種鋲ベルトからリストバンドといった比較的初心者向けのものをクリアした後は、鼻ピアスとか口安全ピンといったかなり上級者向けのものもあったのだが、自分はそこまではいってない。(これまた各方面の弾圧に抵抗する気合がなかったからだ。)
 せいぜいがSIDネック・チェーン止まりであった。ただこのネック・チェーン、後に発売されていた首の後ろにあるクリップで簡単に外せるものと違ってホントに鍵が無くては外れないハードなものだったため何度か苦労したものだ。一緒に風呂も入れば寝るときだって肌身離さず(離せず)付けていたこともあった。
 
 と、一通り思い返してみたのだがそんな思い出のアイテムも今現在我が家に残っているのは鋲ジャンぐらいのものだろう。まぁ、今どきこんなパンクスは100%いないと思うが。
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『 2004年02月19日 ある男の観察日記(起床編) 』
 男の朝はいつも早い。
家人は皆眠っており外だってまだ真っ暗な時間だというのに男の体がやおらもぞもぞと動き始める。
まずは首を左右に激しく振らし始め、次に両手をバタバタと上下させながら声ともならないうめき声をあげる。
「うぐっ!」、「んがっ!」、「あ”っ!」、「ひっ!ひっ!」、「げふっ!」。
 
 ひとしきりうめき声をあげたかと思えば男はまだ時間が早すぎるのに気付いたのか、まるで今までの騒動が夢の中だったかのように再び深い眠りに落ちることもある。
だが、大抵はそうやってわめきながらついには足をもバタつかせ、着ていた布団も跳ね除ける。
この時期、布団をそこまで跳ね除けてしまえばさすがに寒いだろうに・・・。
 
 だがここまで目覚めてしまっては男の動きはもう止まらない。家中の全員をも叩き起こす程の勢いで暴れ続ける。
通常なら脳も体も動きが鈍いであろう起床直後からの激しい全身運動をこなしている。
そう、まるで自らの存在を主張するかのごとく。
 
 ただの起床という行為だけのためになぜそこまで体力を消耗する必要があるのか?
こんな早朝から誰に向かって何を訴えかけているのか?
なぜもっと静かな目覚めをむかえられないのか?
 男に問いかけても、声ともならないうめき声が返ってくるばかりである。
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『 2003年12月30日 やぁ、久しぶりだな。』
 男は身支度を整えつつ考えた。アイツは機嫌良く迎えてくれるだろうか?最初から完全装備で向かい合うよりもまずは軽装でもいいからご機嫌を伺ったほうがいいんじゃないか?
 男は後者を選択した。ジーンズにトレーナー、足元はスニーカーというこの季節にしてはラフな格好のまま男は部屋を出る。
 「やぁ、久しぶりだな。」
男は心の中でそう呟きながら相棒を覆ってあるカバーをはぐる。このカバーをはぐるのは何ヶ月ぶりだろうか。久しぶりに日の光に当たった相棒はやはりくすんで見えた。
 「すまなかったな。何ヶ月も放っておいて。」
男はやはり心の中でそう呟きながら相棒を押して表に出る。
 「これはやはりちょっと磨いてやらなきゃならんな。」
だが男には時間がなかった。やっと捻出した相棒と戯れる僅かな時間。もう何ヶ月も眠ったままだった相棒。相棒の心臓だってカラカラに乾ききっていることだろう。
 「なぁ相棒、磨いてやれなくてスマンが今日はやっぱり走ろうや。」
しばらく考えて男はそう語りかけた。
 
 シリンダーにキーを差込みひとつ廻してニュートラル・ランプを確かめる。バッテリーは死んじゃいないようだ。キーをいったんOFFに戻し燃料コックを開ける。乾ききっていたキャブレターにオクタン価の高いガソリンが流れ込む。それをティクラーで心臓に送ってやりキックアームを引き出すと、キーはOFFのままキックを静かに踏み下ろす。久しぶりに感じる抵抗にやや戸惑いながらそのまま2〜3回の空キック。そして再びキーを捻り、
 「さぁ機嫌はどうだい?」
と囁きながら一気に踏み下ろす。
 
 2回、3回、4回、、、相棒は目覚めない。
 「そりゃそうだ。そう簡単に息を吹き返してくれるなんて思っちゃいないさ。だが今日はいつまでもキックを踏んでるわけにはいかないんだよ。まだバッテリーは死んじゃいなかったよな。」
 男はキックを踏むのをやめ、セルボタンに手をかける。
キュル・キュル・キュル・・・。
キュル・キュル・キュル・キュル・・・ドオォワワァ〜ン・ドドッ・ドドッ・ドドッ・・・。
相棒は意外にもあっさりと目覚めてくれた。
 「なんだ、お前も待っていたんだな。」
 
 そう言って男は改めて身支度を整えに戻る。
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『 2003年12月23日 ある夫婦のコーディネイト論争。』
 夫(ビンボーパンクスあがりのバイカー)は忘年会に出掛けるために着替えをしていた。
いつものメンバーでのいつもの集まりなので特に気取る必要もないだろうと、いつもの様にルーズなジーンズにトレーナーを着ようと構えていた。
 それを見ていた妻(これまた元パンク系音楽愛好家にしてバイカー、今では自称オシャレでわりとファッションセンスにはうるさい)は「ちょっと待って!アンタまたそんな格好で出掛けるの?たまには私の選んだ格好してみなさいよ。」と一言。
 
 これまでも何度か同じようなことを言われつつ、いつも従わない夫も「たまには言うことを聞いてみるか、、、」という気にでもなったのか妻の差し出したパンツに足を通す。
それは黒の細身でタイトなラインのパンツであり、一見80年代のパンク・ファッションの面影も感じさせるパンツであり夫も何気に気に入った様子。
 
夫「へぇ、結構いいじゃん!これでラバーソールでも履けばバッチリだな。」
妻「何言ってんの!ラバーソールなわけないでしょ。これには足元はスニーカーに決まってるでしょ!」
夫「ん?そうか?まぁ、スニーカーも楽でいいけど・・・。」
 やはり80年代を引きずっている夫のイメージとはどこか違っているようだった・・・。
 
妻「で、上にはニットを合わせてもらいたいトコだけど、まぁそのトレーナーでも無いことは無いね。それと眼鏡はサングラスね。」
夫「別に車は運転しないんだから眼鏡はいらないぞ。」
 ファッション性よりも実用部分にしか気が行ってない夫でもあったようだ・・・。
 
 さて、一通り妻の思惑通りのファッションに決まったところで呼んであったタクシーもやってくる時間。
夫「じゃあそろそろ出掛けるわな。」
 と、何も考えずにいつもの“革ジャン”を取り上げる夫。
 
妻「・・・・・。それで全部だいなしだわね・・・。」
 
 やはり妻のファッションセンスが理解できていない夫であった。
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『 2003年11月10日 ゴールを守れ。』
 サッカーをやっていた。
自分はキーパーとしてゴールを守っている。
 
 よおーし、ゴールキック頂き!行くぞ!速攻だっ!
あれ?ちくしょう。うまく蹴れないぞ・・・。すぐそこに落ちてしまったじゃないかっ。
クソ〜ッ。あわてて戻ってきてるのは味方か!?敵じゃねぇよな?よし。こっちに戻せ!やり直しだ!
キックはダメだっ。投げるしかねぇな。おいっ、ダメだ。そんなに遠くには投げられない。
もっと近くに寄ってきてくれっ!
あっ、ちくしょう!敵まで寄ってきやがった。片手でうまく投げられるのか!?自信ねぇぞ・・・。
こうなったらスローインだっ!両手で頭の上からブン投げるしかねぇ!
キーパーがゴールからスローインってのはちと変か?しかしそんなこと言ってる場合じゃねぇ!
よーし、そこだっ!いくぞっ!おりゃぁ〜っ!
 
 寝ていた枕を思いっきりブン投げたところで目が覚めた・・・。
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