『 2003年10月14日 ある夫婦の通販事情。』 |
夫「あ、そうだ、そろそろ俺宛に代引き郵便で荷物が届くと思うんだけど、俺が居ない間に届いたらお金はここに置いとくんでよろしく。」 妻「え?私にもそろそろ届くハズなんだけど・・・。」 夫「また何買ったんだよ?」 妻「テレビで見てついつい電話しちゃった。」 夫「なんだ、ジャパ○ットタ○タか?どうせまた高い化粧品かなんかだろ。」 妻「ん〜、まぁそんなものネ。でも4つセットで8000円よ!コレなんか1本で8000円なんだから。」 と、手元に置いてあった化粧品のビンを見せて強がる妻。 妻の衝動買いなんて大体が化粧品関係だったりする。しかも大体が肌に合わないとか臭いがダメだとか文句ばっかり言ってたりする。おそらく今回もそうであろう・・・と、思う夫である。 妻「ところでアナタは何買ったのよ?どうせまた無駄なレコードかCD買ったんでしょ!」 夫「違うっ!今度はCDじゃないっ!」 妻「じゃあ何が届くのよ!?」 夫「ん・・・、いや、それは・・・内緒・・・。」 妻「なんだ、エロビデオか。」 なかなか隠し事は出来ないようである・・・と、悟る夫でもある。 |
『 2003年10月12日 いわゆるひとつのマニアネタ。』 |
この日記を読んでくれている人がもしも100人いたとすればその99人までが、いや100人全員がどうでもいいことかも知れんが・・・。 スターリンの隠し撮りライブ映像っちゅうのんがいくつか出回っている。で、そのうちのいくつかが私の手元に回ってきていたりするわけだが、その全てに於いて“いつ”、“どこで”の映像なのかが判明しているわけではない。 ただ漠然と音と映像を楽しむのもいいが、やはり“いつ”、“どこで”のライブなのかが知りたくなってくるあたり、マニアの域に一歩踏み入れてしまっているのか?(危険な領域なので出来れば踏み入れたくないんだが・・・。) そんな日時・場所不明の映像の中にウィラードのJUN氏がギターを弾いてる映像がある。その演奏曲目・ミチロウさんの衣装等からある程度の年代は特定できるのだが、やはり正確な日時・場所は今までわからなかった。 そこで今、これまでに頂いた情報やその他のライブ音源等からこの映像を考察してみる。 まず、スターリンの活動記録を調べてみるとJUN氏がギターとして参加していた時期はかなり絞られる。日付を挙げてみると83.12.1〜84.3.17までの約3ヶ月半ぐらいの間だ。ライブ自体の回数にしてたった6回だと思われる。 次に場所だが、これは当時スターリンのライブを見ていた幾人かの情報により千葉のダンシング・マザーズではないかと推測される。その方達の話と映像で見る限りのステージの広さや雰囲気も一致するので間違いないだろう。(ちなみに自分では千葉に行った経験が無いので確認できない・・・。) JUN氏の参加期間、千葉ダンシング・マザーズ、この2つの情報を前述の活動記録と照らし合わせてみると、ライブの日付は84.3.9〜11の3DAYSのいずれかである、ということか? それでは3DAYSのうちどの日の映像なのか? ここに84.3.9及び84.3.10と銘打たれたライブテープがる。この日付記録が正しいとすれば、つまり3DAYSのうち2日分の音源がここに残ってるわけだ。早速セットリストを比べてみるとどちらも映像のセットリストとは食い違っている。 よって、これらの映像・音源があくまで編集されていないものと仮定すれば、この映像は 「“84.3.11 千葉ダンシング・マザーズ”でのライブ映像である。」 という結論に至ったわけだが、どうか? どうか? と言われても困るか? |
『 2003年09月20日 ツーリングレポートってやつを書いてみる。』 |
先週の3連休、キャンプツーリングに出掛けた。 台風明けという天候のせいで予定していた日程から1日ずれての出発。そのせいか当初の参加予定だった5台のうち当日の朝集合場所に現れたのは自分を含めてたった2台という寂しさ。 不参加となった3台のうち1台は初めてのキャンプツーリングに向けて色々と道具も買いそろえ、バイクに専用キャリアまで構えて準備万端、待ち焦がれていたにもかかわらず日程変更によって無念のキャンセル。 1台は前回のキャンプツーリングでは仲間内でも一番の豪華装備(と言っても一番広いスペースのテントとテーブルぐらいのものだが)を誇り、その後1年中キャンプを楽しみにしていたにもかかわらず急用の為にキャンセル。 で、残る1台はというと数ある愛車がどれも不動という状況の中、借り物のバイク(いわゆるレーサーレプリカっちゅうスピードはめっぽう速いが、旅に出るとなると積載能力の極めて低いバイク)にキャンプ道具を積み込もうと当日の朝から試行錯誤・悪戦苦闘の末あえなく敗北、しょうがないんで車での参加を決めこみ先に出発していたのだった。 そんなわけで集合(と言えるのか?)した2台で目的地に向けて出発。 行き先は標高何百メートルだか何千メートルだか知らないが地元では結構高い場所にある高原のキャンプ場。廻りに見える風景はただっ広い草原と遠くのやまなみと2基の風車という携帯も繋がらないような場所で、放牧されている乳牛の群に囲まれながら昼間っからビールをやり“まったり”と過ごす。いやぁ、なんとも言えず天上人なシチュエーションだなこりゃ。などと考えつつ愛車を走らせること2時間、目的の天界の到着。 んが、しかしっ! 何だよこの人混み。いつからここはこんなに人が集まるような場所になったんだ?廻りにいるのは乳牛の群どころか、これぢゃテント張るスペースも無いぢゃんかっ!っていうぐらいの人と車の群。 しかも寒っ!下界の暑さは何処へ?いくら標高が高いっつったって去年はこんなに寒くはなかったぞ?風車だってもの凄い勢いで回ってるしビールなんか飲んでる場合なのか? だからといって今さら別の場所に移動するのも勘弁してくれよってことで、ちょっとだけ開いたスペースに車1台とバイク2台を止めて待つことに。 その場で買い込んで来た昼飯を食べ、寒さに負けずビールを飲んでるところへ、キャンプ道具の不備を理由に不参加の意思表示をしていた別の仲間がぶらりとやってきた。前日から日程や行き先の問い合わせメールが来ていたので来るんじゃないのか?とは思っていたが予想通りの展開である。もちろんテントなど持ってなく日帰りでキャンプ地で沸かすコーヒーなど飲みにきたのだった。 そうこうしているうちに他の日帰り組がボチボチと帰りはじめたところで、すかさずテントを設営し多少の人混みと多少の寒さの中、無理矢理“まったり”とした時間を過ごし始める。 それでも日中はなんとか過ごせたが日が落ちてからの寒さは半端じゃなかった。こしゃくにも粗挽き豆から抽出して造る本格派コーヒーも抽出してる間に冷めてしまうという気温の中、一人用の鍋でチマチマと作る鶏ガラと昆布で出汁をとった豚肉の鍋が唯一体を温めてくれる。高原の夜はTシャツ1枚にスカジャン、ヒザの抜けたジーンズというナメた格好で凌げる寒さではなく、みんな各自のテントに潜り込み顔だけ出しているというマヌケな状況だ。 ジーンズにスカジャンを着込んだまま寝袋に潜り込んで凌ぐ一夜が明けた翌朝、一人の仲間が車から起き出してきた。テントでは寒くて寝られなかったそうだ。 食パンと卵を焼いたり、ラーメン(朝から!?)を作ったりと各自思い思いの朝食をとり終えた頃、急用で参加出来なかったハズの仲間が今後の予定を問い合わせる電話の後(携帯は繋がらないんじゃなかったのか?と言う不条理はこの際忘れて)、楽しみにしていたキャンプツーリングの余韻を味わうべくマグカップ1個のみ持参してキャンプ地に到着。そのまま昼頃まで“まったり”と過ごした後、一人車で帰路につく仲間を除いて3台でツーリングがてらの帰り道となる。 教訓1:冬山をナメてかかるとエライ目に遭う。(って言うか冬でもなければ雪山でもなかったのだが・・・。) 教訓2:ガスを忘れちゃなんにも出来ない。 教訓3:牛肉と豚肉は見た目に判断できるハズだ。 |
『 2003年08月28日 家具屋に群がる客。』 |
実家に向かう途中の幹線道路沿いに比較的大型の家具屋があったわけだがこれが1ヶ月ほど前からずっと閉まっていた。 で、先日実家に向かう際にその前を通りかかろうとしたらその家具屋のちょっと手前から随分と道が混んでいる。 ん?なんでこんな場所で渋滞なんだ?事故でもあったのか?と普段はスムーズに流れる幹線道路の思わぬ渋滞ぶりを不審に思いながらもしかたなく並んで待つ。やがて渋滞の列は徐々に流れていき、家具屋の直前まできたとき渋滞の原因が判明した。ずっと閉まっていた家具屋はどうやら改装中だったようで今日がそのオープンの日らしいのだ。 それにしても家具屋のオープンセールにしてはえらく客の入りが良いもんだ。ガードマンが懸命に動いているんだが全く客の車がさばき切れていない。店に入りたい車が道路まで溢れ渋滞を作ってしまっている。いくら有能なガードマンでもあの駐車場にこれだけの車を入れるのは物理的に無理があるというもんだ。よっぽど安い値段でオープンセールをやってるんだろうか? と多少の興味心も抱きつつ、さし当たって家具を購入する予定のない私はそのまま素通りして実家に向かう。 さて、実家に滞在している間にそんな家具屋のオープンセールのことはすっかり忘れていたのだが、何気に目にとまった新聞の折り込み広告がふと気になり、見てみるとそれは先程の家具屋のオープンセールを宣伝するチラシだった。 どれどれ何がそんなに安いんだ?とそのチラシを見てみるとそれまで家具一本だった2階建ての店舗は、家具は2階部分のみで1階は某大手チェーン店である100円ショップに様変わりしているようだった。なんでも近隣地域の100円ショップとしては最大級の売場面積を誇ってのオープンなのだそうだ。 家具に関して言えばそれほど驚くような安さではないし、だいいちいくら安いとはいえ大型の家具なんかそんなに寄って集って買いに走るようなもんでも無いだろう。あのたくさんの客のほとんどはきっと某100円ショップ目当てに違いない。やはり今の世の中なんでも100円で買えるというのは魅力的なんだろう。 そこでふと気が付いたのだが、そのチラシには安売りの家具は幾つか出ているんだが100円ショップに関して言えば“最大級の売場面積”とは書いてあるものの、どこにも安売りとは書いてない。 通常価格の100円がオープンセールで50円だったりするわけでもないようだし「10個買えば1個おまけが付いてくる!」だとか「テレビで人気のアノ特撮ヒーローがやってくる!」だとか他に目立った特典があるわけでもなさそうだ。 だったらなにもこんなに込み合ってる店内に入り人混みを掻き分けながら商品探しに挑まなくても、いつ買いに行っても100円なわけだ。 みんなそこに気が付かなかったのか?はたして。 |
『 2003年08月23日 暑かった出張から1ヶ月。』 |
5:30 起床。 6:00 民宿で朝食。(朝から結構なボリュームの食事) 6:30 民宿を出発。 6:45 コンビニでお茶、氷などの買い込み。 7:00 現場に到着。早速仕事を開始。 12:00 〜 13:00 昼休み。ほっかほっか弁当で昼食。 17:00 仕事終わり。 17:10 コンビニでビール等の買い込み。その場で飲み始める。 17:30 民宿に到着。運転手以外は全員ほろ酔い。 18:00 順次風呂に入る。さらに酔いもまわる。 19:00 民宿での夕食。(ちゃんと毎晩違うメニュー。しかも美味い) 21:00 夕食終わり。もちろんみんなへべれけに酔っ払ってる。 21:10 食後、くつろぎのひとときもなく就寝。 以上は先月に5日間ほど出張に出てた時の毎日の平均的なスケジュールだ。 今年は全国的にかなりの冷夏となってるそうだが、この出張期間中はとてつもなく暑かった。毎日朝から日差しも強く、現場が日陰もない海上という事もあってか仕事を始めるとすぐに汗だくになってしまう。仕事を終えた作業着には塩がふいてるぐらいだ。日頃、冷房の効いた事務所に勤務している私にはそれだけでかなりの疲労となった。 そうやって5日間ほど慣れない肉体労働を続け、普段使わない筋肉を酷使し、滝汗をかいた。 これだけ体を動かして汗もかけばそりゃ体重も少しは減ってるだろ。などと勝手に思い込んでた私の思考回路が、どうやらショートしていたようだと気付いたのは一ヶ月ほど経った最近のことである。 先日、出張から帰宅後初めて体重計に乗ってみたら、あろうことか出張前より2〜3キロは増えてるじゃないか! あれだけの重労働であれだけの大汗をかいてどうして体重が増える?そうか!メシだな!?そりゃ民宿のメシは美味かったさ。普段飲まない酒も飲んださ。喰いすぎなのか!?飲みすぎなのか!?そうなのか!? 現場からの帰り道に一番最初に見えるコンビニでビールを買っては飲んでる場合じゃなかったのか!? 普段一滴も酒なんて飲まないくせに晩酌に焼酎のロックなんて飲んでる場合じゃなかったのか!? いくら美味かったからといって先輩の残した皿うどんまでたいらげてる場合じゃなかったのか!? いや、済んでしまったことを今さら悔やんでもしかたがないだろう・・・。今後の対策を考えねば。 太ってしまったことによる難点としては何があるのか? ・まず、見た目に素敵とは言い難い。 ・ズボンがきつくなった。いや、ものによっては穿けなくなった。 ・やはり何事においても体が重く感じられる。 ・夏が暑い。 う〜む、逆に利点はないものか? ・・・。 ・・・。 おそらく生涯行く予定もない雪山等で遭難したときに生き延びる確立が多少なりとも高い・・・かもしれない。 どうやら太ってる場合じゃないみたいだぞ。 |
『 2003年08月02日 ファミリー向けレストラン。』 |
久しぶりのおだやかな休日。いつもより遅い時間の目覚め。焦って身支度を整える必要のない余裕。眠気覚ましに一杯のコーヒーと煙草をやりながらこれからの行動を考えるひと時。 からっぽの胃袋に入れたカフェインと約10時間振りに吸い込んだニコチンの刺激が空腹を訴える。 もうこんな時間だ。今さら朝メシってこともないだろうと、昼食をとりに近くのファミリーレストランへ。 ちょうどお昼時ということもあってきっと店はいっぱいだろうなと思いつつ店内に入ると確かに客がいっぱいだった。だが普段のそれとはちょっと雰囲気が違う。何が違うかっていうと客層が違うのだ。普段の客層はファミリーレストランというだけあって家族ずれやカップルが多いのだが、今日はやけにガキが多い。っていうか客のほとんどがガキばかりだ。なんだ、いったいどうしたんだ今日は? よくよく観察してみるとコイツ等皆同じ服装をしてやがる。どうやらどこか他所の地域のスポーツ少年団の団体様ご一行らしい。そういや表にバスが止まってたな。 ちくしょう!しまったぜ!こんなことなら他の店にすれば良かったぜ、と思ったのも、もうオーダーを通した後だった。まぁいい。たまにはこんなこともあるさ。 だがしかし、お前等もうちょっと静かにできねぇのか?はしゃぎすぎなんだよ。そりゃお前等にとっちゃ滅多に来ることもねぇレストランかもしんねぇけど、そう大勢で店内をうろうろされたんじゃこっちも落ち着かねぇんだよ。 だから店内で帽子投げてるんじゃねーよ! おめー、声がでかすぎだろっ! 保護者はいねーのか?保護者はっ! おいそこ、一箇所に群がってんじゃねぇ!誰も通れねぇだろうが。あぁそうか、そこは“ドリンクバー”か。楽しいか?嬉しいか?飲み放題が。お前等いくら飲み放題だからってそんなに何杯も飲んでてちゃんと飯も喰えるのか? ・・・??? ん? まてよ。 このガキども、まだ何にも喰いモンが来てねぇじゃねえか!お前等全員分のオーダーまださばけてねぇのか、ひょっとして? お前等、今来たばかりなのか?まだ飯喰い始めてねぇよな?おいおい、じゃぁこっちのオーダーは何時になるんだよ?そんな人数で一気に来店されちゃ厨房もパニくってるんじゃねーのか!? 席についてから3分で決めたメニューが出てきたのは入店から約50分後だった。 テーブルの灰皿がいっぱいになり、同時に注文した“ドリンクバー”メニューでの3杯目のコーヒーに飽きてきた頃だ。 その10分後には4杯目のコーヒーを流し込みながら一服している自分がいる。 なんて時間の無駄遣いをしてるんだろう。 バスの止まっているファミリーレストランは避けるべし。と心に誓った初夏の休日であった。 |
『 2003年07月19日 飛行機は嫌いダッ!』 |
鉄の塊に乗って空を飛ぶなんて事が当たり前の今日ですね。 普段あまり飛行機に乗らない方々は飛行機っつうとテレビのニュースや映画なんかで見ることがあるぐらいでしょうか。あまり頻繁に現物を目の前にすることは無いかと思われますね。 私もその中の一人なわけですが、最近久しぶりに飛行機に乗りました。あまり遠くない1時間ちょっとのフライトです。 で、飛行機に乗るべく出発ゲートから出て最初に思ったことっつうと 「うわぁ、小せぇ〜!」 ですね。 中に入っても 「狭っ!」 って感じです。 私が座ったのは窓際の翼が見える場所だったのですが、これも良くない!目の前でプロペラが回ってるのはあまり気持ちの良いもんぢゃないね。 「こんなプロペラでホントに飛べるのか?」 「その前にあのプロペラに貼ってある黒いビニールテープは何?」 「お、いよいよ回り始めたけど、なんかブレてないか?」 と心配事は尽きない。 離陸直後、ちょっとだけ気持ち悪くなりそうなGに耐えつつも景色を見てみる。 ぐんぐんと遠のいていく地面、瞬く間に小さくなっていく車や、流れる景色。「いやぁ、やっぱ飛行機ってえ速いね♪」 なんて思っていると、ある程度上昇したあたりから景色の流れが止まったように感じてきた。 「ん?なんかこの飛行機、止まってないか?」 (←いや、ちゃんとプロペラは回ってる) 「って言うか、この飛行機バックしてないか?」 (←そんなわけない) あり得ない心配を終えた頃、飛行機は雲に入る。 「おぉ、真っ白ぢゃん。」 「こりゃ何にも見えないね。」 「視界1mってとこか?」 「前から別の飛行機が飛んで来たりしてねぇだろうな?」 「それどころかいきなり山がっ!なんて事はねぇのか?」 そんな心配もしつつ、もうすぐ目的地に到着か? 「当機はこれより徐々に高度を下げてまいります」とアナウンス。 見ると確かに下がってきてるようだ。出発とは逆にぐんぐんと近づいてくる地上の風景。が、しかし見えるのはまだ海ばかり。やっと地面が見えてきたと思ったら、こりゃまた随分と低いトコ飛んでんじゃん! 「おいおい、どこに降りるつもりなんだ?」 「空港なんてどこにも見えないじゃんかっ!」 「落ちてんのか?」 「おい、落ちてんだろっ!この飛行機!!」 などと洒落にならない心配をしてる私の目に滑走路らしき物が見えてきたのは、もう着陸寸前である。 飛行機の横の窓からは進行方向の景色は見えないのでそんなもんなのか。 とまぁ、たまに乗る飛行機には魅力がいっぱい。というお話し。 |
『 2003年06月29日 日本の経済崩壊について考える。』 |
バブル崩壊から何年たったのかは知らないが相変わらずの不景気が続く日本経済。 誰が首相になろうが、政府がどんな経済政策を打ち立てようが一向に景気が上昇する気配はない。 信頼出来ない議員、政界人、“絶対”という言葉も崩れ落ちた金融機関。 何に使われるのか全くわからない税金だけは上昇し、保障なんて無いに等しい老後の社会生活・・・。 などというおっきな問題はさておき。 ここ数年の給料カットやボーナス軽減の影響が出てきたのか、最近小遣いとして使えるお金が少なくなったような気がしてならないのは私だけか? 銀行が倒れようが知ったことぢゃないが、欲しいCDが買えないのは痛い。 そこで、とりあえず小遣いを稼ぐ手段を考えてみる。 ・残業手当を稼ぐ … つうか通常勤務時間すら時間が余ってる。 ・アルバイト … 時間的にはいけるかもしれないが、肉体的に無理。 ・某ネットオークションで何か売る … その“何か”が難しい。 ・昔やってた副業 … ブランク長すぎ。 ・カツアゲ … そんな事ができるルックスをしてない。 ・結婚詐欺 … 同上。 ・公営ギャンブル … 元手不足&運不足。 世の中そう簡単には金は入ってこないようだ・・・。 やはりこうなったら最も現実的かつ確実な手段を行使するしかないようだな。 ・嫁に泣きつく … タイミングと言葉づかいによっては勝算あり!! |
『 2003年05月28日 そんなダットラ、されどダットラ。』 |
この日記でも既に何度か登場してきた嫁さんの愛車“ダットサントラック(黄色)”の近況。 「2002年02月16日」、「2002年04月03日」の日記にてこれまでの状態がわかるかな? さて、その日記に書かれている昨年の今ごろの話である。 ずっと面倒をみてくれているサービスマンからは「もうかなりボロボロなんで他の車に替えなさい。」と、さらにその1年ほど前から言われていたダットラ。 そこで、今回の車検を最後に次の車検までには別の車に乗り換えるであろうと多少の不具合には目をつむってもらい、書類上の体裁のみの車検をやってもらった。まぁ、色々と不具合もあったが、あと1年ぐらいはなんとかもつだろうと。その間に次の車でも考えればいいということで。 そんな簡易車検から早1年。次の車も決まらずダラダラと乗り続けていたダットラにまたしても車検の時期がやってきた。しょうがないんで昨年同様の簡易車検をお願いしてディーラーに持っていってもらったまでは良かったのだが・・・。 その日の夕方、サービスマンから「もうダメ。限界。無理。検査に通すなら20万以上はかかる。」と連絡が入る。 「え?なんで??今まで普通に乗れてたのに???」などというアメリカ的な考え方が通るわけもなく、早急に対策を考えなければならなくなった。そんな草臥れたダットラに今さら20万もの大金をつぎ込むのもどうかと思うが、かと言って次に購入する車両も決まらず。 とりあえずこちらからの連絡待ちということで車検整備もストップしたまま、ダットラは半ば必然的に没収状態となる・・・。 どっかにとりあえず2年ぐらい乗れる車、落ちてねぇかな。 |
『 2003年05月06日 今年も九州へ。』 |
今年も行ってきました九州ツーリング。 ゴールデンウィーク恒例となっている九州ツーリング。 周りのみんなからは「また九州かよ。少しは違うところへ行ってみたらどうだ?」と言われ続けながらも行ってきました九州ツーリング。 そんなわけでもう10年以上は回っている九州ツーリングなんですが、今年のツーリングはめずらしく好天に恵まれましたね。全日程において合羽いらずなんて滅多にあるもんぢゃぁありません!去年なんてヒドイもんでした・・・。 (ここで2002年5月7日の日記を参照して下さい。) つまり今回のツーリングには“伝説の雨男”である彼が参加してなかったわけです。いやぁ、ここまで天候に差が出るとますます彼の力を疑う余地はありません! 愛車の方も昨年に続き大きなトラブルもなく無事に帰還です。しいてあげればステップが1個使用不可能に陥ったのですが、その程度のトラブルは“トラブル”ではなく“ナチュラル”です。よくある事です。 あとは宿で仲間の一人がした“ぶちっ・・”というオナラの音が「おいっ!今の音、“身”も一緒に出ただろ、絶対に!!」という疑惑が未だに残っているぐらいでしょうか?もちろん本人は否定していますが・・・。 |
『 2003年04月15日 本日は健康診断なり。』 |
今年もやってきました健康診断。 以前は健康診断というと、普段気付いていない余計な不具合を発見されるのではないか?とか思って無駄に緊張したりしたのだが、最近では開き直ったというか諦めたというかあまり緊張する事も無くなった。 というのは私の話であり、中にはそうでない方もいるようで・・・例のアノ人である。 (2002年04月11日の日記を参照して下さい。) さて4月14日(健康診断前日)の今年のアノ人といえば。 AM 8:00 いつもと変わらず仕事を始める。 AM10:00 昨年の欠勤理由となった膝をさすり始める。 PM 1:00 「膝が痛む」と口に出す。 PM 3:00 「歩くのも辛い・・・」そうだ。(明日休むとはまだ言わない) PM 4:00 ついに社員食堂で座り込む。 PM 4:50 「明日の朝、“もし”会社に居なかったら有給休暇の届を代わりに出しておいてくれ」と頼まれる。 私「え? 膝の具合が悪いんですか?」 アノ人「ああ、それにさっき歯も抜けたんだ・・・。」 私「歯・・・?」 アノ人「差し歯がね。」 来年も楽しみである。 |
『 2003年03月07日 田舎町の公共交通機関を考える。』 |
最近テレビの報道とかでもたまに特集されてることもありますが、田舎の公共交通機関が経営困難らしいですね。 私の住んでる町も田舎なわけですが、東京や大阪といった都会と違って電車や地下鉄が網羅されてはいないので、何処へ行くのにも車が一番便利なわけですよ。公共交通機関もあるのですが、まず利用する事は無いですね。 で、車に乗らない学生やお年寄りの交通手段となるのが公共交通機関ですね。私の街では主にバスですね。 その代表として通称「県交通」という会社があるんですが、県の冠を被っているにもかかわらずやはり経営は苦しいようで、利益を上げる為にいろいろと試行錯誤を繰り返しているようです。 その一つとして広告収益というのがあるのですが、これがまた賛否両論のようですね。「昔ながらのバスの走る街の風景が乱れる。」とか、「いやいや会社存続の為にはそんな事言ってられないんだ。」とかね。 まぁ、極端な物になるとバスの車体全面が広告なわけですから、「やりすぎだろ!」って意見も当然かも知れませんね。 先日、私の車の前を県交通のバスが走っていたんですが、その車体後部にはもちろん広告が掲げられていました。 で、何気にその広告を見てみると、この田舎町でスタジオを構えて営業しているTATTOOショップの広告が・・・。 10年ほど前ならありえないような広告だと思うのですが、日本のTATTOO業界も徐々にアメリカ並に認知されてきたのでしょうか? それとも県交通は広告媒体など選んでいる余地もないぐらいに追いつめられているのでしょうか? ガンバレ県交通! |
『 2003年03月01日 婆ちゃん。』 |
父親を連れて田舎の老人介護施設に入所している祖母に会いに行ってきた。 20年ほど前の私がまだ学生だった頃、祖母は当時70歳ぐらいであったろうか? 彼女は自宅兼用である田舎独特の何でも売っている商店を経営し、田んぼや畑を耕し、山ではみかんも栽培していた。私などはとてもキツくて登れないような山の急斜面もズリズリ登って行ける程、強靱な足腰を持っていた。 しかし現在では強靱な体力を誇っていた彼女も、脳の老化現象には勝てないのかいわゆる“ボケ”が始まっている。 彼女のもとを訪れた身内の顔を見てもすぐに誰だかはわからないし、人によっては名前を言っても誰だかわからない事もある。 そうかと思えば私の顔を見てすぐに名前を呼び、「嫁さんはどうしてる? 子供はまだか?」と、いたって普通の会話をする事もあれば、私なども忘れていた昔の詳細な想い出話を語ってみたりと、実際どこまでが正気でどこからがボケてるのか?はたして本当にわかっていないのか?実は全部見透かしているのではないのか?そんな風に思えてしまう事もしばしばある。 とまぁそんな感じではあるのだが、本人曰く「この前、老人クラブの走り合い(徒競走のような物か?)にも誘われて、わしゃ速かったぞ。」って言うぐらい体は元気なもので、こういうのを“動いたっきり老人”と言うのか!? いずれにせよ体が元気なのは良い事だ。 「体はどこっちゃぁ病気も無いけんど、わしももう93じゃきねぇ。。。」と、声高らかに笑いながら主張する彼女はホントは95歳だそうだ。 この辺ははたして“ボケ”なのか、それとも“女心”なのか・・・微妙なとこである。 |
『 2003年02月23日 コケシドール/コケシズム。』 |
1980年代。 日本のパンク・ムーヴメントが大きく動いた年代。 それまでは殆ど無かったに等しい自主製作での流通。大手レーベルやレコ倫を通さない危険な香りの漂うレコード。誰に抑制される事もなく自分達の思いのままに表現してきたバンド。あまり一般には出回らずすぐに入手困難となってしまう秀作の数々。 地方では情報も少なく購入するにも限られた手段での通販に頼らざるを得なかったかも知れない。録音機材の状態も貧しく音質もけっして良いものではなかったかもしれない。だが、やっと手に入れた1枚のレコードには今では味わえない重みがあったし、そこから出てくる音にはずっと色あせない衝撃があった。 コケシドールという名前を聞いてピンときた方には何の説明も要らないであろうが、そう“ザ・スターリン”である。 そんな80年代に登場し、今なお伝説のパンクバンドとして語られるザ・スターリンは、そのライブパフォーマンスもさる事ながら優れた楽曲・作品を多数残しており、80年代を代表するパンクバンドのひとつと言えるであろう。 ここに書くコケシドールとはその前身バンドの名前をそのまま頂いたコピーバンドである。 しかし、ただのコピーバンドとあなどるなかれ!その80年代の衝撃を忘れる事が出来ず、もはや中年と呼ばれるべき現在までの間ずっと温め続けてきた音には思い入れと愛がある。 この1枚のCDには音質・音圧はもちろんの事、ジャケットに帯、CDのレーベル面に至るまで当時を知る者ならニヤリとしてしまう技があり、そして“かっこいい”。 今までの数あるザ・スターリンのコピー・カバーの中でも間違いなく一番“かっこいい”であろう。 全ての革命的変態諸君がずっと演りたかった音はここにあり、日本パンク・ムーヴメントの初期衝動が蘇ります。 |
『 2003年02月09日 第3回 真冬のツーリング。』 |
今年で第3回を迎える真冬のツーリング。 おそらく一年で一番寒いのではないか?と思われるこの時期にこそ、あえて走る“自由参加”のツーリングである。 待ち合わせ場所では少し早めに着いた私が一番だったのだが、ほどなくいつものメンバー達が到着し始める。 ところがいつものメンバーではなく、あまり見慣れないバイクも3台ほどやってきた。私はもちろん知らない方達で、その時既に到着していた仲間も知らないと言う。どうやら他の仲間が声をかけていて一緒に走る事となった方達らしい。 もちろん一緒に走る事自体には問題はなく歓迎するのだが、ひとつだけ疑問がある。 その見慣れぬ方達のバイクはどれも、空力抵抗を計算され尽くしたであろう完全武装の外装をまとった、いわゆるレーサーレプリカというタイプの速く走れる事のみにその設計の重点を置いたと言っても過言では無いバイク達なのだ。それを操っている方達も、もちろんそのスピード&パワーが欲しくて選んだバイクであろう。 しかし本日のツーリングの主旨は「この寒い時期いつもめっぽう飛ばしてる仲間達も、たまには普段からあまりスピードを出さずに(出せずに)走る私のペースで走ってみてはどうか?私を先頭として・・・。」というものなのだが、このレーサーレプリカ乗りの方達はその主旨を聞いているのだろうか? で、そんな私の心配をよそにツーリングは開始されたのだが、結局参加台数は10台。内、普段からあまりスピードを出さない(出せない)バイクは私のチョッパー1台のみ。 見るからに速そうな完全武装集団を従えて平均60k/mというあまりにも普通のスピードで延々と先頭を押さえる私のチョッパー。はたから見ればきっと変な集団だったに違いない・・・。 そんな事もありながら無事「第3回真冬のツーリング」は終了したのだが、なんとこの日の最高気温は20度。山に登っても15度はあろうかという穏やかな春を感じさせる好天気。 本来ならば休憩中もホットコーヒーを片手に震えながらエンジン熱で暖を取るハズの真冬のツーリング企画が、山での休憩でも眠気冷ましの冷たい缶コーヒーが欲しくなるほどの陽気。 まぁ、本来の主旨とはだいぶ違ったが、いいツーリングだった事は間違いないであろう。 |
『 2003年01月29日 全自動洗濯機。』 |
しばらく前に“全自動洗濯機”なる最新兵器を我が家にも導入したのだが。 それまで10年近くも愛用していた2漕式洗濯機に引導を渡しての導入である。「まだしゃっきで動いているので替える必要などない。」という私の主張を押し切って、遂に嫁さんが購入してしまった物だ。 まぁ、彼女が自分のお金で買ったのだからそれ以上文句を言うつもりも無いし、もちろん私も使っている。 で、私としては生まれて初めてのこの最新兵器なのだが、私の当初の思惑とはちょっとした相違があった。 洗剤に関してなんだが、全自動と言いながらも1回の洗濯毎に指定の場所に投入しなければならない。漂白剤や柔軟剤も然り。日に2回まわそうと思えばその都度洗剤を投入する事になる。これじゃ2漕式とたいして変わらないではないか? そしていかに全自動といえどもあらゆる洗濯物を同時に放り込んでもよいのか?と言えば、やはりそれなりに洗濯物の分別も必要であるらしい。2漕式と比べて手間が省ける作業と言えば、洗濯槽から脱水槽への入れ替えと水道の蛇口を捻る作業ぐらいのものではないのか?その程度の作業なら私にはそんなに苦ではない。 私が洗濯という一連の作業の中で最もきらいなのは“洗濯物を干す”そして“取り込んでたたむ”という作業なんだが、全自動洗濯機がやってくれるのは脱水までであり、もちろん干したりたたんだりはしてくれない。 以前から全自動洗濯機に慣れ親しんできた方々は「アンタ何言ってんの?当たり前でしょ。」と思うかもしれないが、あえて私は言いたい! “全自動洗濯機”という呼称は誇大表現ぢゃないのか!?この程度の自動化なら“半自動洗濯機”と名乗るべきぢゃないのかっ!! |
『 2003年01月16日 遠藤ミチロウ。』 |
私の地元ではほぼ1年ぶりのライブ。前回同様2つのフロントアクトが終了後の登場。 ちなみにその2つは両方とも3ピース編成のバンドだったのだが特筆すべき部分は見つけられなかった。やろうとしている事はよくわかるし面白いと思うのだが、私には伝わってこなかった。どちらもボーカルが弱いのがキツイか? ミチロウ氏の登場。 開始直後、「あれ?今日はあまり調子が出ないのかな?」と思った。昨年倒れたと聞いていたのでその影響がまだ残っているのかなとも思った。だが、それはいらぬ心配だったようだ。 2曲目、3曲目と続くうちにどんどんテンションが上がっていく。あの不協和音の様なノイズ・ボーカルも耳に突き刺さる。そして弦も切れる。たった1人で、アコギ1本で、それでも圧倒的なパワーが伝わってくる。 以前からずっと聴いてきた馴染みの曲に加えてこのスタイルではあまり聴いた事のなかった曲や、噂には聞いていたが私は初めてとなる新曲も聴く事が出来た。 そして私はこの1曲を体感する為にここに居る、と言っても過言ではないであろう「天国の扉」。 1年前に初めて生で体験してからもずっと唄いこまれてきたであろう1曲。CDでもライブテープでも何度も聴いてきた1曲ではあるが、やはり鳥肌が立った。 「NO FUN」でいったん終了したライブはアンコールの2曲を含め約2時間。決してスピードのある曲が多いわけでもなく適度にMCも挟みながらの2時間ではあるが、それでもあっと言う間だった。 ライブ終了後にはいつも通り客と気軽に話をしてくれるミチロウさんからサインと新作の情報も頂いた。今から楽しみだ。 もう決して若くはない遠藤ミチロウというアコースティック・パンク・ロッカー。そのライブをあと何回体感出来るかな。 |
『 2003年01月10日 深夜の訪問者。』 |
ん、いったい今は何時なんだろうか? その時私は完全に眠りに落ちていたと思う。 しかし私と違って明日は仕事が休みである彼女はどうやらまだ起きていたようだ。読みかけの小説にでも没頭していたのであろう。 そんな彼女に体を揺すられて、私はうっすらと意識を取り戻した。 「ねぇ、起きて。 玄関でチャイムが鳴っているの。 さっきから何度も・・・。」 私の眠たい目に不安そうな彼女の顔が写る。 それまで眠っていた私には正確な時間はわからないのだが、他人の部屋を訪問するにはちょっと常識はずれな時間であったはずだ。でなければ眠っている私を彼女がわざわざ起こす事もないだろう。 まだ半分眠っている脳みそでそんな事を考えていると、 ピンポ〜ン♪ と、アパートに備え付けのチャイムが普段と違ってやけにけたたましく響いた。 「ほら、また。」 私に助けを求める様な口調で彼女が言った。なるほど確かにこの部屋のチャイムのようだ。しかし何だろう、こんな夜中に? いつも不意打ちを喰らわせられるNHKの受信料徴収にしては時間が遅すぎるし・・・。 いくら考えてもこんな時間にこの部屋を訪れる客は思い浮かばず、あきらかに尋常ではない事態が起ころうとしている様な気がしてならない。 意を決して玄関のドアに向かう私。 一応ドアの覗き窓から外の様子を確認してみると確かに人が居る。それも3人も。見た目50代前半の男が1人とそれよりもやや若いであろう女が2人。もちろん会った事も無い人達だ。 そのままシカトするわけにもいかないだろうとドアを開けてみる。 女「こんな時間にすいません。○○さんですか?」 私「いや、違いますけど・・・。」 と、私には覚えの無い名字を出されたが、話を聞いてみるとどうやら子供が行方不明になって探しているとの事。3人の大人がしきりに謝りながら事情を説明しているが、未だ半分眠っている私には詳しい事情は呑み込めないしそれ以上の力になる事も出来ないので、お引き取り願った。 それにしても何故この部屋なのか? そしてその後、子供は見つかったのか? この田舎の街も物騒な世の中になったもんだ。 |
『 2002年12月27日 ねぇ、聞こえてる? 』 |
うちの嫁さんってちょっと難聴気味なんぢゃないの?って思う時が時々ある。 話しかけても全く気付いてない事が結構あるし、話している途中でも「え?何?」と聞き返される事もよくある。 ま、それは何かに夢中だった為か、私の話にあまり興味が無かった為かも知れないが。 あと、家の中でもちょっと離れた場所などから彼女が大声で話しかけてくるのだが、彼女の声はよく聞こえていてもこっちの声が聞こえていないらしくて、「何言ってるのかわからない!」とよく怒られたりもする。 ま、それも彼女の声質はよく通り、私の声質があまりよく通らないという事かも知れないが。 例えばテレビの音量にしても私は全然問題なく聞こえていても、彼女は聞こえ難いと言って音量を上げたがるし、映画を見ている時なんかは一緒に見ているとこっちがちょっと疲れてくるぐらいの音量で見ていたりもする。 そう言えば彼女の実家は交通量の多い国道沿いにあり、ダンプの騒音等で「テレビの音が聞こえ辛かった。」って言ってたなぁ。その時からの癖なのか? まあ、だからと言って生活に大きな支障があるわけでもないし、ほっといてもさほど問題にはならないだろう。 しいてあげれば、私のしたオナラの「ブッ!」ていう音に対して、「え?何?」と返事するぐらいの事だろうか。 |
『 2002年12月26日 MOBILE PONTAX'S? 』 |
携帯向けのサイトって難しいっすね。 いや、難しいって言うか融通が効かないって言うか、なかなか思い通りには出来ないもんだね。 とりあえず大手3社の端末で見られるようなヤツを作りたいんだけど、3社ともブラウザの仕様が全く違うみたいね。 まず画像形式が違うもんだから、どの端末でもちゃんと画像が表示されるようにするのが難しい。しかも表示出来る容量が限られてるからそんなに大きなデータは扱えない。タグもどこまで対応してるのかもイマイチよくわかんないし、文章だって文字数が限られてくる。 そうなると便利そうなのが携帯向けの無料レンタルサーバーなんだけど、これがまた3社全てに対応していて画像も自由にアップ出来てページ数も制限なしに作成出来るなんていう理想郷のようなサーバーなんてなかなかあるもんぢゃない。 しかも大抵は携帯からの作成を考慮している為かブラウザ上での作成しか出来ず、「ローカルで作成してアップロード」っていうのが出来ないんで非常に手間がかかるし、自分のPCにバックアップも取っておけない。 で、もちろん自分で3社全部の携帯を持ってるわけはないんで、出来上がったページの確認も出来ない始末。もう妥協の連続。 大体こうやってPC向けのサイトを持っているのにもかかわらず、わざわざ携帯向けのサイトなんて作成する必要があるのだろうか? つまりそんだけ会社でする事が無いって事かよ。あぁ、ヒマだなぁ・・・。 |